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東京高等裁判所 平成8年(行ケ)208号 判決 1998年9月10日

東京都新宿区東五軒町2番9号

原告

ゼブラ株式会社

代表者代表取締役

石川秀明

訴訟代理人弁護士

田倉整

松尾翼

奥野泰久

西村光治

上記松尾翼訴訟復代理人弁護士

内田公志

訴訟代理人弁理士

内田明

萩原亮一

安西篤夫

大阪府大阪市東成区中道一丁目10番17号

被告

株式会社サクラクレパス

代表者代表取締役

西村貞一

訴訟代理人弁護士

村林隆一

松本司

同弁理士

三枝英二

舘泰光

主文

特許庁が平成7年審判第17314号事件について平成8年7月15日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする

事実

第1  原告が求める裁判

主文と同旨の判決

第2  原告の主張

1  特許庁における手続の経緯

被告(審判被請求人)は、考案の名称を「筆記具のインキ筒」とする実用新案登録第1973840号考案(以下「本件考案」という。)の実用新案権者である。なお、本件考案は、昭和58年1月25日に実用新案登録出願(昭和58年実用新案登録願第10576号)され、平成5年7月14日に実用新案権設定登録がされたものである。

原告(審判請求人)は、平成7年8月15日に本件考案の実用新案登録を無効にすることについて審判を請求し、平成7年審判第17314号事件として審理された結果、平成8年7月15日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決がされ、その謄本は同年8月21日原告に送達された。

2  本件考案の要旨(別紙図面A参照)

材質がポリエチレン又はポリプロピレンよりなる透明又は半透明のインキ筒であって、インキが水性インキであり、且つ、該水性インキの末端側に該水性インキと相溶しない逆流防止剤よりなる筆記具のインキ筒に於いて、該水性インキと該逆流防止剤の接触面の中心部で、該水性インキが該逆流防止剤へ突入状に接触させるために、該インキ筒に対する該水性インキの濡れの方が該インキ筒に対する該逆流防止剤の濡れよりも濡れ難くなるよう、該逆流防止剤がポリブデンよりなり、該インキ筒に対する該水性インキの濡れがポリブデンの該インキ筒に対する濡れよりも小さい水性インキよりなることを特徴とする筆記具のインキ筒

3  審決の理由

(1)本件考案の要旨は、その実用新案登録請求の範囲に記載された前項のとおりと認める。

(2)これに対して、原告は、被告の平成3年7月23日付手続補正書による補正(以下「本件補正」という。)は、下記の2点において願書添付の明細書(以下「原明細書」という。)の要旨を変更するものであるから、本件考案の実用新案登録出願は実用新案法9条の規定(平成5年法律第26号による改正前)により準用される特許法40条の規定(平成6年法律第116号による改正前)によって平成3年7月23日にしたものとみなされる。したがって、本件考案は、同出願前に実用新案出願公開された原明細書に実質的に記載されている考案であるか、または、該考案に基づいて当業者がきわめて容易に考案をすることができたものであって、実用新案法3条1項3号又は2項の規定により実用新案登録を受けることができないものであるから、その実用新案登録は同法37条1項1号の規定(平成5年法律第26号による改正前)により無効とすべきである旨主張する。

<1> 実用新案登録請求の範囲において、「インキ筒に対する該水性インキの濡れがポリブデンの該インキ筒に対する濡れよりも小さい」とする補正(以下「補正点<1>」という。)は、水性インキと逆流防止剤のインキ筒に対する濡れの大小に係る相体的関係を述べたものであるが、この記載は原明細書には全く認識がなく、また、自明のことでもない。したがって、補正点<1>は、本件考案の要旨を変更するものである。

<2> 考案の詳細な説明において、逆流防止剤としてのポリブデンについて、「ポリブデン(これをゲル化してもよい)」と括弧書きを加えて説明する補正(以下「補正点<2>」という。)は、原明細書に記載がないところ、ポリブデン単体と、ゲル化したポリブデンとでは物性及び逆流防止剤としての特性が著しく異なる。したがって、補正点<2>は、実質上、実用新案登録請求の範囲を拡張するものであって、本件考案の要旨を変更するものである。

(3)判断

<1> 補正点<1>について

願書添付の第1図には、インキ筒内のインキと逆流防止剤との関係において、インキ筒内壁面の逆流防止剤がインキに向かって押し込むよう接触しており、その結果、「水性インキと逆流防止剤の中心部で、水性インキが逆流防止剤へ突入状に接触」(この接触状態を、以下、「本件考案が要旨とする接触状態」という。)することが図示されている。これは、明らかに、インキ筒に対する濡れが逆流防止剤の方が大きく、インキの方が小さいことを示している。したがって、濡れの大小に係る相対的関係について述べている補正点<1>は、当業者にとって自明の事項であって、明細書の要旨を変更するものではない。

<2> 補正点<2>について

原明細書には、「インキ筒(1)にまず水性インキ(2)を填充しついで通常の状態ではグリース状であるが加熱して流動性を与えた逆流防止剤(3)を填充し、室温に冷却する。この室温時の状態において第1図のように中心部においてインキ(2)が逆流防止剤(3)内に突入状で、接触している。」(3頁9行ないし16行)との記載があるが、この記載は、常温でグリース状の逆流防止剤を使用する旨を述べたものである。また、原明細書には、「逆流防止剤 ポリブチン 3N」(5頁9行、10行)、「逆流防止剤:ポリブチン 3N」(6頁13行)との記載があり、逆流防止剤としてポリブチン(以下「ポリブデン」という。)を使用することが記載されているので、原明細書には、逆流防止剤としてグリース状のポリブデンを使用することが記載されていると把握できる。一方、グリースは、「全体として半固体状を呈する。一種のゲルである」(「化学大辞典3」(共立出版株式会社昭和41年10月20日発行)の105頁)から、逆流防止剤として使用されるポリブデンを「ポリブデン(これをゲル化してもよい)」と言い換えることは、原明細書に記載されている範囲内の事項といえる。また、原告は、ポリブデン単体とゲル化したポリブデンとは物性が著しく異なる旨主張するが、原明細書に「グリース状のポリブデン」が開示されている以上、そのグリースの状態に応じてポリブデンの性状が変化するとしても、本件考案が要旨とする接触状態を可能とする範囲内のポリブデンであればよいと解すべきである。したがって、補正点<2>は、本件考案の要旨を変更するものではない。

(4)よって、本件考案の実用新案登録出願の日は昭和58年1月25日であるから、本件考案が原明細書に記載されている考案と同一、あるいは、同考案に基づいて当業者がきわめて容易に考案をすることができたとすることはできない。

(5)以上のとおり、原告が主張する理由によっては、本件考案の実用新案登録を無効にすることはできない。

4  審決の取消事由

審決は、原明細書及び願書添付図面に記載されている技術内容を誤認した結果、本件補正は適法であると判断したものであって、違法であるから、取り消されるべきである。

(1)補正点<1>について

審決は、願書添付の第1図に「インキ筒に対する濡れは逆流防止剤の方が大きく、インキの方が小さいこと」が図示されていることを論拠として、補正点<1>は原明細書の要旨を変更するものではない旨判断している。

しかしながら、「水性インキと逆流防止剤のインキ筒に対する濡れの大小に係る相対的関係」は、原明細書には全く記載されていない事項であり、昭和61年11月27日付審判請求書の請求の理由において、初めて「インキ及び逆流防止剤とインキ筒内壁との親和力」(請求の理由の5頁7行、8行)に関する言及がされ、これは出願時には不明であったため原明細書に記載されていないことが自認されているのである(同6頁11行、12行)。

したがって、補正点<1>が原明細書に記載されている技術内容を越えるものであることは明らかであるから、願書添付の第1図のみを論拠として、「水性インキと逆流防止剤のインキ筒に対する濡れの大小に係る相対的関係」は当業者にとって自明な事項であるとする審決の認定は誤りである。

(2)補正点<2>にっいて

審決は、原明細書3頁9行ないし16行、5頁9行、10行、6頁13行の各記載を援用して、「原明細書には、逆流防止剤としてグリース状のポリブデンを使用することが記載されていると把握できる」旨説示している。

しかしながら、原明細書3頁9行ないし16行の記載は、正確には、「インキ筒(1)にまず水性インキ(2)を填充しついで通常の状態ではグリース状であるが加熱して流動性を与えた逆流防止剤(3)を填充し、室温に冷却する。この室温時の状態において第1図のように中心においてインキ(2)が逆流防止剤(3)中に突入状で、あるいは第2図のようにインキ(2)が逆流防止剤(3)と水平状に接触している。」というものである(この記載部分を、以下「原明細書の記載Ⅰ」という。)。

そして、原明細書には、「第1図の状態を示す組合わせ」における逆流防止剤として「ポリブチン 3N」が記載されている(4頁20行ないし5頁11行。この記載部分を、以下「原明細書の記載Ⅱ」という。)。しかしながら、ポリブデンは常温において流動性のよい液体であるから、原明細書の記載Ⅰにいう「通常の状態ではグリース状であるが加熱して流動性を与えた逆流防止剤」には該当しないうえ、このように常温において流動性のよい液体は逆流防止作用をほとんど有しないから、本件考案の所期の目的の達成は困難と考えられる。

そうすると、原明細書には、「通常の状態ではグリース状であるが加熱して流動性を与えた逆流防止剤」を使用して本件考案が要旨とする接触状態を得る具体的方法は全く開示されていないことに帰着する。したがって、「通常の状態ではグリース状であるが加熱して流動性を与えた逆流防止剤」に該当しない原明細書5頁9行、10行及び6頁13行の「ポリブチン 3N」の記載を論拠として、「原明細書には、逆流防止剤としてグリース状のポリブデンを使用することが記載されていると把握できる」とした審決の説示は明らかに誤りである(まして、逆流防止剤として6頁13行の「ポリブチン 3N」を使用する組合わせは、「第3図の状態」、すなわち、本件考案が要旨とする接触状態とは正反対の接触状態を示すものである。別紙図面B参照)。

そして、審決は、原明細書に逆流防止剤としてグリース状のポリブデンを使用することが記載されていることを前提として、グリースとは「一種のゲルである」から、「ポリブデン」を「ポリブデン(これをゲル化してもよい)」と言い換えること(すなわち、補正点<2>)は原明細書に記載された範囲内の事項といえるとし、かつ、グリースの状態に応じてポリブデンの性状が変化することを認めながら、本件考案の構成要件である逆流防止剤は本件考案が要旨とする接触状態を可能とする範囲内のポリブデンであればよいと解すべきであるから、補正点<2>は本件考案の要旨を変更するものではない旨判断している。

しかしながら、ゲル化ポリブデンは、添加するゲル化剤の種類等によって多様な性状を示すものであるところ、本件考案が要旨とする接触状態を実現しうる特性を備えたゲル化ポリブデンは本出願前には知られていなかったのであるから、審決の上記判断は失当というべきである。

この点について、被告は、被告作成に係る実験報告書(甲第8号証)を援用して、逆流防止剤としてゲル化ポリブデンを使用することにより本件考案が要旨とする接触状態が得られる旨を主張する。しかしながら、同実験において添加されているゲル化剤(ステアリン酸亜鉛、ステアリン酸マグネシウム、アエロジル)によってゲル化したポリブデンを逆流防止剤として使用すれば本件考案が要旨とする接触状態が得られることは本出願前に知られていなかったのであるから、上記実験報告書の記載を論拠として補正点<2>が本件考案の要旨を変更するものではないとすることは許されない。なお、被告の後記主張のように、ステアリン酸アルミニウムを微量添加してゲル化したポリブデンを逆流防止剤として使用すれば本件考案が要旨とする接触状態が得られるとしても、そのようなゲル化ポリブデンは逆流防止作用が極めて小さく、実用に耐えないものである。

第3  被告の主張

原告の主張1ないし3は認めるが、4(審決の取消事由)は争う。審決の認定判断は、正当であって、これを取り消すべき理由はない。

1  補正点<1>について

原告は、「水性インキと逆流防止剤のインキ筒に対する濡れの大小に係る相対的関係」は原明細書には全く記載されていない事項であって、補正点<1>は原明細書に記載されている技術内容を越えるものである旨主張する。

しかしながら、原明細書の記載Ⅰには、グリース状の逆流防止剤を使用することによって本件考案が要旨とする接触状態が得られることが明らかにされており、願書添付の第1図には本件考案が要旨とする接触状態が具体的に図示されている。そして、一般に、筒体内において2種の流体A、Bが接触しており、流体Aの方が流体Bより筒体を濡らしやすいとすると、流体Aは筒体の壁面をより広く濡らそうとして流体Bを押し込むことになり、その結果、両流体の接触面の中心部において、流体Bが流体Aに突入状に接触することは当然の理である。したがって、願書添付の第1図をみれば、インキ筒に対する濡れは逆流防止剤の方が大きく、水性インキの方が小さいという「水性インキと逆流防止剤のインキ筒に対する濡れの大小に係る相対的関係」は、当業者において直ちに理解し得る事項にすぎないから、補正点<1>は明細書の要旨を変更するものではないとした審決の判断は正当である。

この点について、原告は、被告の平成6年11月27日付審判請求書の請求の理由の記載について云々するが、同請求の理由において「出願時不明であったため明細書に記載されておりません」(6頁11行、12行)としたのは、インキと逆流防止剤の境界線を読み取ることができる場合とできない場合が生ずるのは、筆記時に両者の接触面において生ずる形状の動的変化に起因するというメカニズムのことであるから、原告の上記主張は当たらない。

2  補正点<2>について

原告は、「原明細書には、逆流防止剤としてグリース状のポリブデンを使用することが記載されていると把握できる」とする審決の説示は誤りである旨主張する。

しかしながら、原明細書には、その記載Ⅰにおいてグリース状の逆流防止剤を使用することによって本件考案が要旨とする接触状態が得られることが明らかにされている一方で、本件考案の構成要件である逆流防止剤が特定のものに限定される旨の記載は全く存在しない。そして、原明細書には、逆流防止剤の例として「ポリブデン」が記載され(5頁9行、10行。6頁13行)、かつ、「化学大辞典」には、グリースとは半固体状の一種のゲルである旨が記載されているところ、昭和57年特許出願公開第200472号公報(甲第9号証)あるいは米国特許第3,424,537号明細書(甲第11号証)の記載からも明らかなように、ボールペン等の筆記具における逆流防止剤としてゲル化ポリブデンを使用することは本出願前に公知の事項である。したがって、本件考案が構成要件とする逆流防止剤として、ポリブデンに公知のゲル化剤を添加してゲル化したものを使用してみることは、当業者ならば当然に想到し得た範囲内の事項にすぎないから、審決の上記説示に誤りはない。

この点について、原告は、原明細書にはグリース状の逆流防止剤を使用して本件考案が要旨とする接触状態を得る具体的方法が記載されていない旨主張する。しかしながら、原明細書に、同じグリース状の逆流防止剤を使用しても、組み合わせる水性インキの組成が異なれば願書添付第1図と第2図のように異なる接触状態を示し、また、逆流防止剤として同じ「ポリブチン 3N」を使用しても、組み合わせる水性インキの組成が異なれば第1図と第3図のように全く正反対の接触状態を示すことが記載されていることから明らかなように、インキ筒内における水性インキと逆流防止剤の接触状態は、インキ筒、水性インキ、逆流防止剤それぞれの性状に応じて変化するものである。したがって、原明細書の記載Ⅰにおいてグリース状の逆流防止剤を使用すれば本件考案が要旨とする接触状態が得られることが明らかにされている以上、当業者ならば、使用する水性インキと逆流防止剤の各組成を考慮し、公知のゲル化剤の中から適宜のものを選択して本件考案が要旨とする接触状態を実現し得るグリース状の逆流防止剤を求めることは容易になし得る事項であるから、必ずしもその具体的方法を実施例として明細書に記載する必要はないというべきであって、補正点<2>が本件考案の要旨を変更するものではないとした審決の判断に誤りはない。

また、原告は、本件考案が要旨とする接触状態を実現し待る特性を備えたゲル化ポリブデンは本出願前に知られていなかった旨主張する。しかしながら、被告作成に係る実験報告書(甲第8号証)によれば、ステアリン酸亜鉛、ステアリン酸マグネシウムあるいはアエロジルを添加してゲル化したポリブデンを逆流防止剤として使用することによって本件考案が要旨とする接触状態が得られることは明らかであるところ、前記甲第11号証に逆流防止剤のゲル化剤として「ステアリン酸アルミニウム等の金属セッケン」が記載されている以上、同じ金属セッケンである「ステアリン酸亜鉛、ステアリン酸マグネシウム」を逆流防止剤のゲル化剤として添加し得ることは当業者に自明の事項であるし、日本アエロジル株式会社製の「アエロジルR972」は、液体の増粘性等の付与剤として本出願前に広く知られていたものであるから、原告の上記主張は誤りである。ちなみに、原告作成に係る技術説明書(甲第10号証)によっても、ステアリン酸アルミニウムを1%あるいは2%添加してゲル化したポリブデンを逆流防止剤として使用すれば、本件考案が要旨とする接触状態が得られることが明らかにされている。

理由

第1  原告の主張1(特許庁における手続の経緯)、2(本件考案の要旨)及び3(審決の理由の要点)は、被告も認めるところである。

第2  成立に争いのない甲第4号証(実用新案出願公告公報)によれば、本件考案の概要は次のとおりである(別紙図面A参照)。

1  技術的課題(目的)

本願考案は、ボールペン等の筆記具に用いられる水性インキを充填した透明又は半透明の合成樹脂製インキ筒に関するものである(1欄17行ないし20行)。

油性ボールペンのように高粘度のインキを内径の小さいインキ筒に充填したときは、衝撃が加わってもインキが飛散することはないが、水性インキは低粘度であるから、同じ内径のインキ筒に充填しても衝撃によりインキが飛散することがあるうえ、筆記距離を延長するためにインキ筒の内径を大きくすると、衝撃によるインキの飛散は加速度的に大きくなり、かつ、平常時でも高温になると流出する可能性も大きいので、逆流防止剤の使用が必須となる(2欄8行ないし18行)。

しかしながら、逆流防止剤を使用すると、インキの流出に伴って、インキとともに逆流防止剤もペン先方向へ移動するが、その際、両者が混合してインキ筒内壁に接着するので、インキ筒の外から観察すると、末端側から、逆流防止剤層・混合層・インキ層の3層が認められ、インキと逆流防止剤との境界面が分からず、したがってインキの残存量を確実に読み取ることができない(2欄19行ないし3欄5行)。

本件考案の目的は、このような従来技術の欠点を解消した筆記具のインキ筒を提供することである。

2  構成

上記の目的を達成するため、本件考案は、その実用新案登録請求の範囲記載の構成を採用したものである(1欄2行ないし15行)。

3  作用効果

本件考案によれば、筆記によってインキが流出するとき、逆流防止剤も、インキの末端面に接触したままペン先方向に移動するので、インキと逆流防止剤の境界線をインキ筒の外から常に明瞭に観察することができ、インキの残存量を確実に読み取ることができる(3欄6行ないし11行)。

第3  そこで、原告主張の審決取事由の当否について検討する。

1  補正点<1>について

原告は、「水性インキと逆流防止剤のインキ筒に対する濡れの大小に係る相対的関係」は原明細書に全く記載されていない旨主張する。

しかしながら、前掲甲第2号証によれば、原明細書には、原明細書の記載Ⅰに続いて、「このような状態でインキ(2)と逆流防止剤(3)が接触するときは筆記より(「筆記により」の誤記と考えられる。)インキ(2)が流出してもインキ(2)と逆流防止剤(3)は図示せる状態を維持したまゝともにペン先方向へ移動するので両者の境界線(4)は形状が変ることなく常に明瞭に観察することができる。」(3頁17行ないし4頁2行)と記載され、かつ、願書には別紙図面Bの図面が添付されていることが認められる。したがって、原明細書には、願書添付の第1図に図示されている水性インキと逆流防止剤の接触状態が、本件考案の好ましい実施例の一つであることが記載されていることになる。そして、インキ筒(1)の内部において水性インキ(2)と逆流防止剤(3)が同第1図に図示されているような接触状態(すなわち、本件考案が要旨とする接触状態)を示すためには、逆流防止剤(3)がインキ筒を濡らす度合いが、水性インキ(2)のそれよりも大きいことが必要であることは、当業者ならば直ちに理解しうる事項にすぎないと解されるから、「補正点<1>は、当業者にとって自明の事項であって、明細書の要旨を変更するものではない」とする審決の判断を誤りとすることはできない。

この点について、原告は、補正点<1>が出願時には不明であったため原明細書に記載されていないことは被告の昭和61年11月27日付審判請求書の講求の理由において自認されている旨主張する。しかしながら、補正点<1>の補正の適否は原明細書あるいは願書添付図面にいかなる技術的事項が記載されているかを客観的に認定して判断すべきであって、審判請求時における被告の認識を基準とすべき理由はないから、原告の上記主張は当たらない。

3  補正点<2>について

原告は、補正点<2>は本件考案の要旨を変更するものではないとする審決の判断は誤りである旨主張する。

検討すると、成立に争いのない甲第2号証によれば、原明細書における実用新案登録請求の範囲には、その要件とする逆流防止剤について、「水性インキと相溶しない逆流防止剤」(1頁5行、6行)と記載されているのみであることが認められる。

また、前掲甲第2号証によれば、原明細書の記載Ⅰは、「インキ筒(1)にまず水性インキ(2)を充填しついで通常の状態ではグリース状であるが加熱して流動性を与えた逆流防止剤(3)を充填し、室温に冷却する。この室温時の状態において第1図のように中心部においてインキ(2)が逆流防止剤(3)中に突入状で、あるいは第2図のようにインキ(2)が逆流防止剤(3)と水平状に接触している。」(3頁9行ないし16行)というものであることが認められ、また、原明細書の記載Ⅱは、

「イ、第1図の状態を示す組合わせ

インキ組成(中略)

逆流防止剤

ポリブチン 3N(3,000cst)

(日本油脂(株)製ポリブチン)」

(4頁20行ないし5頁11行)というものであることが認められる。

ところで、ポリブデンが常温において流動性のよい液体であることは被告も争わないところであるから、原明細書の記載Ⅱにおいて逆流防止剤として記載されているポリブデンは、原明細書の記載Ⅰにいう「通常の状態ではグリース状であるが加熱して流動性を与えた逆流防止剤」には当たらないことが明らかである。また、前掲甲第2号証によれば、原明細書には、原明細書の記載Ⅱにおけるポリブデンがグリース状のものであること、あるいは、ゲル化されたものであることを明示ないし示唆する記載は全く存在しないことが認められるから、原明細書には、「第1図の状態を示す組合わせ」に適する「通常の状態ではグリース状であるが加熱して流動性を与えた逆流防止剤」は具体的には例示されていないことになる。したがって、「原明細書には、逆流防止荊としてグリース状のポリブデンを使用することが記載されていると把握できる」とする審決の判断は根拠がないといわざるをえない。

もっとも、逆流防止剤として単体のポリブデンを使用したのでは本件考案が要旨とする接触状態を得ることができず、グリース状のポリブデンを使用することによって初めて本件考案が要旨とする接触状態が得られるというのであれば、原明細書に逆流防止剤としてグリース状のポリブデンを使用することが開示されていると解する余地がないとはいえない。しかしながら、成立に争いのない甲第8号証によれば、被告が行った実験において、逆流防止剤として「ゲル化剤:無添加」のポリブデン3Nを使用した場合(資料-1)に本件考案が要旨とする接触状態が得られたことが認められ、また成立に争いのない甲第10号証によれば、原告が行った実験においても、逆流防止剤として「ゲル化剤 無添加」のポリブデン3Nを使用した場合(参考資料4-1)に本件考案が要旨とする接触状態が得られたことが認められるから、原明細書に逆流防止剤としてグリース状のポリブデンを使用することが開示されていると解する余地はないというべきである。

この点について、被告は、筆記具における逆流防止剤としてゲル化ポリブデンを使用することは本出願前の公知の事項であるから、本件考案が要件とする逆流防止剤としてポリブデンに公知のゲル化剤を添加してゲル化したものを使用してみることは、当業者ならば当然に想到し得た範囲内の事項にすぎない旨主張する。

確かに、成立に争いのない甲第9号証によれば、昭和57年特許出願公開第200472号公報に記載されている発明は「筆記具用インキ逆流防止剤組成物」に関するものであって、実施例として「N-ラウロイルグルタミン酸ジブチルアミド1部、ポリブデンNV-35(日本石油化学製)99部を130~150℃で30分間撹拌して完全に溶解した後、室温で冷却してゲル状物を得た。」(3頁右上欄12行ないし17行)と記載され、このゲル状物が逆流防止剤として満足すべき作用を果たす旨が記載されていることが認められる(3頁右上欄18行ないし左下欄12行)。しかしながら、逆流防止剤として単体のポリブデンを使用しても本件考案が要旨とする接触状態が得られることは前記のとおりであるうえ、逆流防止剤としてポリブデンを使用するときはこれをゲル化すべきことが本出願当時の技術常識であったことを認めるに足りる証拠も存しないから、原明細書の記載Ⅱにおけるポリブデンを敢えてゲル化してみる動機付けは存在しないというべきであって、被告の上記主張は理由がない。

以上のとおりであるから、原明細書の記載Ⅰにおける「通常の状態ではグリース状であるが加熱して流動性を与えた逆流防止剤」の記載と、単体ではそのような逆流防止剤に該当しない原明細書の記載Ⅱにおける「ポリブチン 3N」の記載とを殊更に結び付けて、補正点<2>は原明細書に記載された範囲内の事項であって本件考案の要旨を変更するものではないとする審決の判断は誤りである。

4  そうすると、本件考案の実用新案登録出願は本件補正に係る手続補正書が提出された時にしたものとみなされるべきところ、これと異なり、本件考案の実用新案登録出願は当初の出願時であることを前提としてされた審決の認定判断には、その結論に影響を及ぼすべき重大な誤りがあるといわざるをえない。

第3  よって、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は、正当であるから、これを認容することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条の各規定を適用して、主文のとおり判決する

(口頭弁論終結日 平成10年8月27日)。

(裁判長裁判官 清永利亮 裁判官 春日民雄 裁判官 宍戸充)

別紙図面A

<省略>

別紙図面B

<省略>

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